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2004.05.29

わかせん

ジャパネット高田の電子辞書のCMに思わず笑ってしまいました。
畳みかけるような誤用の指摘が面白い。「若干」を「わかせん」はないだろー!と一人で大受け。
いいなぁこれ。シリーズでいろいろやって欲しい。


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2004.05.24

紺色の車

紺色の車は良いね ボンネット夕焼け空を映し込むから

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2004.05.23

空の色

曇天の色は灰色ではなくてよそよそしさに満ちている白

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2004.05.21

ケーブルの中

ゼロとイチ 流れる波でサーフィンをしたら少しは楽しいだろうか

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2004.05.20

かんたん短歌blogに投稿

この文に(笑)はあり得ない (怒)で返信したい(shiba)

久々に投稿です。
枡野さんの言う「あらすじ短歌」いまいちピンと来なかったのですが、「あらすじ俳句」とでも言うべき作品を読んで、なんとなく分かりました。それで新聞の歌壇を読んでみたら、なんとなく「こういうのがあらすじ短歌なのかなぁ」と思えるようになりました。ひとつ勉強になった。

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超中枢。

スーパー中枢港湾って何ですか??

頭悪そうなネーミング。スーパーって何よ、スーパーって。
どうせなら「Super Leading Port」だとかにすればいいのに(笑

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2004.05.19

記念の時計

離婚した君と足並み揃えてか記念の時計もう動かない

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2004.05.14

もらいたばこと火を借りることを巡る作法

仲のいい喫煙者(20代男性)に聞いた、喫煙者のもらいたばこと火を借りることを巡る作法。

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《もらいたばこ》
・喫煙者の間ではもらいたばこは普通のこと。
・目上の人だからもらいづらいということはない。むしろ、目上の人の方がたばこ一本ぐらいでケチケチしないのでいい。
・さすがに、知らない人からもらうのはやったことがないが、もし知らない人から「一本いいですか?」と言われたら、上げるだろう。
・社会人になれば、自分ではたばこを買わず、もらいたばこだけで暮らす人もいる。(つまり、そういうことも許されるということ)
・誰かがたばこを吸っている時にもらうのが普通だが、学生同士などだったら、本人が吸っていない時でも「一本くれー!」ということはある。

《火を借りる》
・知らない人からでも火は借りる。
・男女関係なく、女性が男性に火を借りることも、その逆もある。話しをしてくれた喫煙者氏は女性に火を借りたことはないが、自分が火を持っていなくて、隣にたばこを吸っている女性がいたら間違いなく貸してもらう。

「喫煙者には連帯感がある。嫌煙者同士にはないと思うけどね。」と言っていた。私が「きっと喫煙者の肩身が狭くなればなるほど連帯感は強まるんじゃない?」と言ったら、同意していた。喫煙者同士の一種独特な親しさを、彼は“喫煙コミュニティ”と呼んでいる。
**************

車の中で、ほんの15分くらいの間に聞いた話だったけど、(自分にとって“当たり前”でないこと、つまり異文化を見聞きし、記述したものをエスノグラフィと呼ぶならば)ちょっとしたエスノグラフィとしてさえ位置づけられそうだ。
“喫煙コミュニティ”の語り方なんかは、言説分析の素材としても面白そうだった。

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2004.05.13

ジャガイモの花が満開

近くの畑に、薄紫色の花がたくさん咲いている。

この花を見ると、近所にいた、あるおばさんのことを思い出す。
彼女はちょうど私の母くらいの歳の人で、でも、一見もっと年を取っているように見えた。その人は、昔、転んだことが原因で脳に障害を持つようになってしまったらしい。子どものような無邪気さで、行き会う私に声をかけてくれた。時には職場(職住近接環境なのです)にも遊びに来た。

まだ、彼女がどこの誰なのかも知らなかった頃、職場に来た彼女は「かわいいから飾っておきなよ」と言ってジャガイモの花をくれた。恥ずかしながらジャガイモの花を知らなかった私は、その花の可憐さに驚いた。

それから1年半くらいの間、私や職場の人と、彼女とのささやかな交流は続いた。家にいてもすることがない彼女は、よく近所を散歩し、道で会えば立ち話をして、職場に来てはお菓子をねだって帰った。
しかし、まだ50代だった彼女の夫が肝臓の病気で逝ってしまってから、彼女はぱったりと姿を見せなくなった。葬儀など一連のゴタゴタの最中に、とても彼女の面倒まで見ていられないと、年老いた義母が彼女を入院させたのだった。
彼女には、私と同い年だという息子を筆頭に、子どももいたが、誰一人彼女を引き取りには来なかった。
1年ほどして、義母も逝ってしまった。

今、その家には誰もいない。彼女の消息も、人づてに聞くだけだ。
どこかで、元気にしていて欲しい。少し悲しい気分で、そう祈ることしか私には出来ない。

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2004.05.12

名前の書いてあるお金

出版物の原稿として提出されたwindowsのexcelで作ったグラフを、MacのPageMakerにきれいに貼り込めるようにするために、windowsのexcel→windowsのIlusstrator→MacのIlusstratorと変換し、文字などの微調整をするという非常に気の滅入る作業をしていました。
あまりに気分がくさくさしてきたので、気分転換がてら、別の仕事をすることに。私が会計を預かっている会の活動資金を郵便局に預けに行くことにしました。預ける金額は決まっていたのですが、いざ金庫を開けてみると、いくつかの封筒に分かれてお金が入っていて(自分が入れたのですが)、どれとどれを持っていくと正しい金額になるのかわからなくなって、結局お金を数え直すことに。
お金の管理は、私の最も苦手とする作業。いつも、どれが何のお金なのか分からなくなってしまいます。
それで思うのは、お金にも名前がかいてあればいいのに、ということ。そうしたら、何のお金か分からなくなることも少なくなるはず。そして、電子マネーは、一種の名前の付いたお金だと思う訳です。
でも、さらに思うのは、お金には、無記名だからこそ自由や平等性があるのではないかということ。例えば5円ばかりのささやかな願いにすら記名しなきゃいけないとしたら、やっぱり息苦しい世の中だろうなぁと。

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2004.05.10

雨上がり

空が晴れてきた。雲間から青空が見える。
あの空のように、私の心も晴れるだろうか。

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風が吹いて儲かる、あの店の今

風が吹いて儲かると言えば、桶屋。
甲府をぶらぶら歩いていて、すごい発見をしてしまった。桶屋は現在、風呂の設備屋として生き延びているのである。「○○桶店」という屋号の店のショーウィンドウには、様々なメーカーの風呂桶が。パ○マとか、リ○ナイとか……。それが、1軒だけではないのだ。
店の中の方に、木の桶が見えていたのは、桶屋としてのプライドだろうか。

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2004.05.05

石臼コーヒー

おとといは町内最大のイベントで、私も職場のメンバーと出店。出したのは、最近イベントで定番にしている「石臼引きコーヒー」。中身は読んで字の通り。

私自身はコーヒーは好きではないが、研究は好きなので、コーヒーのおいしい入れ方を研究して、最近ではかなりおいしく入れられる自信がついた。カセットコンロで湯を沸かし、2台のドリッパー&サーバーで落としていく。焦るとおいしいコーヒーは淹れられないが、もたもたしているとあっという間に長蛇の列ができ、行列が人を呼んでさらに列がのび……という嬉しいながらも恐ろしい循環に。

お陰様で、売上数は前回の1.5倍くらいになった。今回の売上から少し設備投資をして、今度はドリッパー&サーバー4台体制にしたい。それから、ドリップポットも欲しい……。やはり、笛吹ケトルだと口が太くて真っ直ぐなので静かにお湯を注ぐことができず、おいしく淹れられないと感じた次第。ところが、笛吹ケトルでおいしいコーヒーを淹れる方法を紹介しているページがあり、びっくり。でも、私はプロじゃないので、やっぱり道具は選んだ方が賢いと思った。

もうひとつ今回の発見。前回までは、フレンチローストの豆を使っていたのだが、今回は手配ができず、浅煎りの豆を使った。その結果、石臼で挽く場合、深煎りの豆の方がうまく挽けることがわかった。深煎り豆は油っぽく、その粘りけのおかげで粒の大きさが比較的整った粗挽きにすることができた。ところが、浅煎りの豆は砕けやすく、粗挽きにしようとすると、本当に豆がいくつかの破片に砕かれただけのような状態になってしまったのだ。今度からは必ず深煎り豆を調達するようにしよう……。

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2004.05.01

死ぬ前に何を食べるか

いわゆる、「最後の晩餐」に、何を食べたいと思うのだろう。

先日、仕事で取材したおばあさんが、こんな話をしてくれた。
その人のお舅さんが、病気で寝込んでしまった。何か食べたいものは、と聞くと、“小豆の粥”が食べたいと言った。この小豆の粥というのは、小正月に食される小豆を炊き込んだお米のお粥のことではなく、サツマイモを煮た所へ、煎った小豆の粉を入れて煮る、という、いわばその地域で昔食べられていた郷土料理だ。ところが、その当時はもう畑で小豆を作るのをやめていたので、小豆が手に入らない。いろいろな人に聞いて回って、やっとの思いで小豆を手に入れ、粥を作って食べさせたら、お舅さんはそれから1週間ほどして亡くなったという。

いまわの際に思い出すほど、印象深い食べ物を私は食べただろうか。日々、何でも美味しく食べてはいるけれど、何か一つでも、死ぬ前に食べたくなるものがあるだろうか。

死ぬ前に、好きだった小豆の粥を所望し、食べることができたおじいさんは幸せ者で、食べたいものを思い浮かべることもできない私は、ひどく不幸な気がする。

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